穏やかな生活に幸せを感じられることは、とても大切なことです。
しかしそれは、冒険やチャレンジを恐れて平凡な生活を送ってしまうこととは違います。
「自分にとっての冒険」を抑圧し続けても、幸せではいられない。
ここでいう冒険とは、バックパッカーみたいな冒険旅行をすることもそうですが、自分の夢を追いかけたり、好きな人を追いかけたり、自分の信念を貫いたり、といったことです。
男性は就職することで冒険を閉ざしてしまいますし、女性は尽くし気質の男性に口説かれることで冒険を閉ざしてしまいます。
サラリーマンを続ければ親御さんは安心しますし、尽くし気質の男性と結婚すれば親御さんは安心しますから、「自分は良いことをしたんだ」と自他に言い聞かすのは簡単なことです。しかし、自分の心はごまかせません。ごまかそうと思って色々やっても、ごまかせやしないということにやがて気づきます。
それでも「自分にとっての冒険」を抑圧し続けると、人は暗くなり、そして急速に老けていきます。
その冒険があまり良い結果にならないとしても、やったか逃げたかで心持ちは全く異なり、それをやり遂げた人はいつもすがすがしい顔をしています。そして「悟った人」という印象を他者に与えます。
個性的な職業を選べばそれで人生が充実するというわけでもない。飽きたら生き方を変えるべき。
芸術家やフリーランス、大好きな仕事で生きればそれでよいのかと言えば、そういうわけでもありません。華やかで個性的に見えるそうした生き方も、段々それが惰性になってくると、ポリシーの無いサラリーマンと同じように問題です。金銭的に成功していたとしても、です。
一度大きな決心をして、芸術家やフリーランスになったとしても、そこで学ぶべきものがなくなったなら、生き方を変えるべきなのです。たとえばお笑い芸人が絵本作家になったりするのは、すごく良いことです。
「自分の美学を生きる」ということがしやすい時代になっている。
今の時代は特に、転職のしやすい時代で、お給料にさえこだわらなければ、「自分の美学を生きる」ということはおよそ誰にでも可能です。実家にお世話になる必要性があるかもしれませんが、それでも良いでしょう。
とはいえ、1つの仕事をずっと続けることが、必ずしも悪いことだとは言えません。同じ仕事の中で新たな生きがいを見つけながら輝いて生き続ける人もいるでしょう。
不安症な人は、自分の限界にチャレンジしたことがない。それがあなたを苦しめている。
常に苦しみながらチャレンジし続けるべきというわけでもなく、しかし2回や3回は、限界を超えてチャレンジするようなことがあったほうが良いのです。
そうすべきというか、それをやると自分のためになります。
まず、自信がつきます。そして、どうにか人生を作っていけるようにもなります。不安にさいなまれることも減ります。
不安症な人というのはつまり、まだそのチャレンジを乗り越えていないわけです。
このチャレンジは、1回では足りません。1回だけだと、「このジャンルでしか私は生きられない」と不安になってしまうからです。相反するようなジャンルで結果を出すことで、「何にせよどうにかなるかな」という自信が身に付いて不安がなくなりますし、それを達成するだけの多才な能力も身に付くのです。
「平穏に生きる」のは、冒険やチャレンジを終えてからのほうが良い。
「平穏に生きる」というのは、そのチャレンジを終えてからのほうが良いのです。
そうでないと、子供に大切なことを教えられませんし、何より、自分が虚しいだけです。それで100歳まで生きても、あまり幸せは感じられず、むしろ苦痛でしょう。病院で延命治療を受けているのとあまり変わらないからです。
「早く死んで人生をやりなおしたいな」と思うでしょうが、しかし冒険から逃げたまま死ぬなら、どうせ次の人生でも冒険から逃げてしまうのです。
人生のクオリティは「自分にとっての冒険」が出来たか否かが左右する。
人生のクオリティというのは、年収でもなければ肩書でもなく、配偶者の給料ではもちろんなく、家の中の家具のグレードでもありません。「自分にとっての冒険」が出来たか否かなのです。結局、人生の成功はお金では買えないのです。冒険はお金では買えませんし、お金で得たものは冒険ではないからです。
スピリチュアルな概念で言えば、「使命を果たしか否か」「ブループリントを生きたか否か」というものです。
己れの使命やブループリントを明確に理解している人は少ないですが、しかし、使命やブループリントに目をそらし続けている人は、「虚無感」という形でそれをなんとなく感じ取ります。誰に責められずとも、その虚無感によってしんしんと苦しみ続けます。
冒険をするには、冒険をしてみるしかない。映画もワークショップも、むしろあなたを冒険から遠ざける。
冒険するにはどうすれば良いのでしょう?
冒険するしかありません。
現代社会は、冒険の手引きとして映画や本やワークショップがたくさんありますが、しかし、冒険のやり方を知ろうとそれらを手にとってしまうと、そこでもう失敗なのです。そこに行ってしまうと、もう延々と次の映画や本やワークショップを漁るだけになってしまいます。冒険のための準備をしているように見えて、それは逆に冒険からの逃避になってしまいます。
ほとんどの映画は、同じような結論しか述べていない。
その実、ほとんどの映画が同じような教訓を訴えていることに気づいてください。
「愛する人を愛するのが幸せなのよ」
「誰かに反対されても自分のやるべきことに命をかけよう」
「誠実に生きるべきなのだ」
映画や本はどれも、大筋はそれを伝えているだけで、表面のディテールを着替えているだけです。ジュリー・アンドリュースがダコタ・ファニングに変わっただけです。
人生に必要な教訓は、児童文学や絵本で充分に得ている。
同じような映画を何本も見ても、あまり意味はありません。映画を観て感動したならば、次は行動に移さなくてはなりません。そして、人生に必要な教訓というのは、実は子供向けの児童文学や絵本の中にあらかた描かれており、誰もがすでに知っていることなのです。
どう生きるべきかについて、自己啓発本を読む必要も、ワークショップを受ける必要も、映画を観る必要もないのです。
自分磨きにおいて、お金というのは本当に必要ありません。
霊的成長において、お金というのは本当に必要ありません。
冒険をするには、冒険をする以外にないのです。
気になっている男性にアプローチしてみる以外にないのです。それをためらって、もう何年経ってしまったでしょうか?
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