「個性の時代」と言われるようになって久しいですが、しかし他国に比べればまだまだ、日本は「隣にならえ」の文化です。
大学に入るべき、一流企業に勤めるべき、正社員になるべき、結婚して子を持つべき、マイホームを手に入れるべき、といった「普通の立派な人」であることを求められます。
こうした社会的観念は、グリーンの高い人を育てるうえで、ある程度役に立ってもいます。協調性や社会への協力精神、勤勉さは、とても大切なことです。
しかし、ずっと優等生を演じ続ける必要もありません。
まずは「普通の立派な人」を目指してみましょう。
社会が求めるような「普通の立派な人」であることは、それなりに大切です。社会が平和に円滑に回るためには、掃除当番をきちんとこなし、それなりの知性を持った人であることが必要です。
学校のテストで平均70点程度を目指して、勉強をがんばってみましょう。
学級委員や、せめて班長程度は立派にこなせるように、がんばってみましょう。
自分の当番や役割をしっかり果たしましょう。
それが出来るようになったら、自由に生きてよいです。
勉強も平均点程度はとれる、自分の当番を果たす真面目さや協調性がある、班長ぐらいはそつなくこなし、人と会話することが出来る。こうした社会性が身についたでしょうか?
人によっては15歳程度でもう、立派な社会性が身につきます。
「私は社会性が身についたな」と感じたなら、もう自由に生きてもよいです。
大学に進学できるほどの学力がありながら、専門学校に進んで芸術的なことを探求するのもよいでしょう。
普通高校にすら行かず、高専に進んでもよいでしょう。
正社員としてまっとうするくらいの勤勉さがあるなら、正社員にならずにフリーターとして生きるのもよいです。アルバイトとバックパッカー放浪を繰り返しながら生きてもよいです。
リゾートバイトを転々としながら生きるのもよいです。
在宅ワークのスキルを身に着け、ノマドライフを送るのもよいです。
恋愛も自由であってよいです。
自己防衛がしっかりしているなら、15歳でセックスをしてもよいのです。成人男性と恋愛をしてもよいです。恋人にならず、ボーイフレンドのような恋愛でもよいです。
その都度、自分が接する人や組織に対して、協調性を持って勤勉に振る舞うことが出来るなら、それで充分です。その相手や仲間には信頼されるでしょう。
「私は一流企業の正社員です」といった肩書きで、自分の社会性を証明しようとする必要はありません。
一人で生きられるなら、親に止められることもない。
自由に生きたい、自分らしく生きたいと願うとき、それを阻害する最も厄介な障壁は、親であったりするでしょう。最も頼もしい味方であるはずの親は、子が自由に生きたいときにそれを阻害しがちです。
しかし、あなたに立派な社会性があるということは、あなたは親元を離れて暮らすことも出来るはずです。仕事でお金を稼ぎ、アパートやシェアハウス、友人宅での同居、リゾートバイトの寮など駆使しながら、生きることが可能なはずです。
あなたが自分でお金を稼いで生きていれば、親は文句を言わなくなるでしょう。物理的に距離を離してしまえば、制止が届きにくくなるでしょう。
頭が良いだけでは、一人では暮らせません。協調性や自己主張力、労働能力も培う必要があります。
ある意味では、この国の軍隊のような義務教育は、15歳で親元を離れるためのスキルを早急に身につけるのに役に立ちます。
グリーンが高いと「普通の社会」も苦痛。
グリーンの感性が非常に高いと、普通の社会の中で暮らすのが苦痛に感じる傾向です。
善良な人々も善良な会社も、よくよく見ればあまり善良ではないからです。「もっと居心地のよい人を見つけたい」と願うでしょう。そういう人を探すために巣立ち、そしてそういう人の近くで生きるとよいです。
グリーンが60点あると、「立派な社会人」を振る舞えるでしょう。
グリーンが70点になると、普通の社会が不誠実に感じられ、ストレスを感じるでしょう。
グリーンが80点になると、アセンションのように、生きる場所や仲間を選り分けたいと感じるようになるでしょう。
そして総合力が高いなら、場所や仲間を探して暮らしを変えることが出来るはずです。
「立派な社会人」になることは、人生のゴールではないのです。
むしろそこからが、あなたらしい人生の始まりです。
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