「恋愛にかまけるのは良くない」「恋愛なんてくだらない遊びだ」「セックスはいかがわしいことだ」と、恋愛に対して否定的な感情を持つ人がいるでしょう。
「恋愛にかまけるのは良くない」はある意味では正しい。
「恋愛にかまけるのは良くない」と、恋愛に慎重になったり勉強や仕事を最優先で生活しようとしたりするのは、ある意味では正しい判断です。
恋愛は実情として、人の感覚や生活を大きく狂わせがちだからです。
難関大学受験に力を入れる高校3年生は、恋愛を我慢したほうがよいでしょう。その時期にセックスを知ってしまうと、どうしても恋愛に没頭してしまって勉強がおそろかになったり、彼氏の進路に流されてしまったり、といったことが起こりがちです。
地球人に男女の性別があるのは、恋愛やセックスがしたいから。
私たち人間には、男女の性別があります。世の中にはアメーバのように、性別や性交を無しに増殖し、生命活動する生物もいます。しかし人間には性別があり、性交があります。そして人間の性交つまりセックスには、(上手く交わせば)大きな快感(幸福感)が伴う、という特徴があります。
広い宇宙には様々な生物がおり、男女の性別がなくセックスもない、そんな知的生命体もいます。男女の性もなくセックスもない、そんな体で魂みがきをする生命体もいるのです。
様々な惑星が、RPGのように独自の成長ゲームを行っています。
地球人たちはそんな中で、性別やセックスのある、「地球」という惑星の成長ゲームを選んでやってきたのです。
地球に生きる人々は根本的に、「セックスがしたい」のです。
自分とは違う性別の生き物にドキドキする、恋愛という感覚を営みたいのです。
インディゴチルドレンや天使の転生者も同様で、セックスへの意欲を持っています。
ただし妖精の魂を持つ人々には、恋愛やセックスに無関心に転生してきている人もいます。
転生・成長の過程でそれを忘れてしまったりもする。
地球の転生に参加する時点で、「恋愛やセックスを楽しみながら生きる」という生を肯定しています。
しかし、転生を繰り返す中で、「私は恋愛をしたかった」「セックスは素晴らしいものである」ということを忘れてしまうこともあります。
霊界に戻ったときにどのような価値観を持つかは、直近の人生で培った価値観に基づきます。
たとえば厳格なキリスト教の家庭に生まれ、修道院に入って生きる、という人生を過ごしたとき、「恋愛は良いものではない」という価値観になったり、セックスの素晴らしさを体験せずに終わってそれを忘れてしまいます。
その価値観のまま次の転生に入ると、「恋愛はよいものではない」「セックスなどしたいとも思わない」といった価値観で生き続けることにもなります。
そうした生活環境の影響を繰り返しながら、人は魂をみがいていきますし、人格・価値観を形成していきます。
恋愛もセックスも「バランスをとること」が大事。
恋愛やセックスは悪いことではないですが、健全に暮らすためのバランスをとることが大切です。
それは甘いチョコレートやケーキと同じです。
午後3時に適度に甘いもので休憩をとることで、「よし、午後の家事と夕飯づくりもがんばろう!」と活力が湧きます。そのためのカロリーが補給できます。
しかし、チョコレートやケーキを食べすぎると、太ってしまったり糖尿病になってしまったり、虫歯になってしまったりします。
「甘いものは適量に抑えることが大切」と、皆さんよくわかっているでしょう。
恋愛やセックスもそれと同じです。
しかし恋愛やセックスは、「バランスをとる」ということがとても難しいです。
だから多くの人は恋愛やセックスで失敗します。そして多くの人が「恋愛はよくない」「セックスはよくない」とまゆをひそめます。
ほとんどの人は、恋愛やセックスの「適したバランス」を知らないのです。
(それは回数の問題ではなく、日常生活とのバランスです。)
暴食や浪費が減るでしょう。
素晴らしい人と親密になって、素晴らしいセックスを交わせるようになったなら、あなたは暴食や浪費が減るでしょう。暴食や浪費は、快楽欲求やストレス解消の手段です。
「良質なセックス」ほど素晴らしい快感はなく、ストレス解消になるものはありません。素敵な恋愛ができているとき、暴食したい欲求や衝動買い、浪費は減るでしょう。生活が全体的に健全になる、という意味です。無駄な出費が減る、という意味です。
また、過度な推し活も減るでしょう。
恋愛というニンジン無しに成長していけることは素晴らしいこと。
「彼女が欲しいから正社員労働が出来るようにがんばる」「彼氏が欲しいから体を動かしてプロポーションを保つ」などと、恋愛は多くの人にとって、成長やハリのある生活のための強力なモチベーションになります。
恋愛を、上手くモチベーションとして活用しながら生きればよいです。
「素敵な異性を追いかけて、彼に好かれる自分になるようにがんばる」というのはとても強力なモチベーションで、これはとても有意義なものです。
しかし、恋愛というモチベーションがなくても、仕事をがんばったり、体を健康的に動かしたりできる人もいます。
それなら恋愛をモチベーションにせずに生きるのもよいです。
モチベーション云々ではなく、適度に楽しみながら生きるのもよいです。
恋愛のモチベーションがなくても、自分を磨いたりハリのある生活を送ったりすることが出来ますか?
であれば、モチベーション云々ではなく喜びのために、恋愛を適度に楽しみながら生きるのもよいです。
尽くす喜びを楽しむのも良いことです。セックスの快感を楽しむのも良いことです。
価値観の合う人と楽しく語り合うのも良いことです。
あなたは恋愛で大いに人を癒すでしょう。相手にとってリスクのない恋愛をすることが出来るでしょう。それはとても素晴らしいことです!
恋愛をブループリントに持つ人もいます。
恋愛を濃密に体験すること、セックスを濃密に体験することを、ブループリントに持つ人もいます。
使命ではなく「ブループリント」と書きました。
必ずしもその恋愛が、相手のためでなくてもよいのです。
あなた自身の悦びや気づきのために、恋愛やセックスを濃密に体験すべき人生を計画してくる人もいます。
もちろん、恋愛を「使命」に持つ人もいます。美しい容姿と高い精神性を併せ持ちます。
恋愛やセックスで、ものすごく相手の役に立てる人もいます。このような人に対してガイド霊は、仕事を多少セーブさせてでも恋愛をさせようと導くこともあります。
人類においての恋愛・セックスの意義を理解することが大切です。
あなた自身にとって、恋愛やセックスが無関心なものであるなら、それはそれでかまいません。
しかし、他者にとって恋愛やセックスは大切なものなのだ、ということは、客観的事実として理解しておいてください。
他人から恋愛やセックスの自由を奪うような言動はよくないのです。
「その男はやめておいたほうがいいんじゃない?」「今年は受験だから、恋愛は受験が終わってからにすれば?」などと忠告をするのはよいです。
恋愛で堕落してしまう人が多いのも実情・・・。
「尽くしてもらう恋愛」を求めようとすると、恋愛は成長にもハリにもならず、むしろその人を堕落させてしまいます。
そして日本人には、恋愛や結婚によって堕落してしまう女性が多いものです。
実情として、恋愛やセックスを適切なバランスで扱えている人はとても少ないです。
ですから、「あの子は恋愛で堕落していないかしら」と身近な人に心配を感じるのも、自然なことと言えます。案じるくらいでちょうどよいです。
恋愛が良いことか悪いことか、素敵なことかくだらないことか、一言では説明できない多面的なものです。そのすべてを理解している人は、「恋愛とは」と説く人の中にすらほとんどいません。
ほとんど誰も、恋愛の真実や全貌を知らないのです。
(れなのコラムの読者さんの中には何人か、恋愛の意義やそのバランスについてよく理解している人がいるようです♡)
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