「カルマの法則」とは、「自分のしたことはやがて自分に返ってくる」という、霊的真理の一つです。日本の因果応報という言葉はこれと同じ意味です。カルマ自体はサンスクリット語やパーマ語に基づいています。
カルマの法則について、「裁き」のことだと思っている人が多いようですが、それは誤りです。「カルマの法則」は何にせよ、自分の放ったものが返ってくることを指します。ただし、一般的に良い行いの還元は「ダルマ」と呼ぶので、「カルマの法則」と表現するなら悪い行いへの戒めや裁きのようなニュアンスを連想します。
「カルマの法則」は、3つの方法で作用します。つまり、3つの方法であなたの放ったものが返ってくるということです。
今生で人を殺すなら、次の人生では殺される可能性の高い場所で生まれてくる。
1つ目は、輪廻転生によるものです。
たとえばあなたが、今生で殺人を犯したなら、あなたは次の人生では人に殺される確率の極めて高い環境に生まれおちます。戦争の激しい地域や、治安の著しく悪いスラム街といった場所です。「殺す者は殺される」ということです。
つまり、アフリカや南米などに多くみられる、スラム街に生きる悲しい目をした子供たちは、かわいそうな人とも言えないのです。過去世で人を殺した故に刑務所の中にいるようなものなのですから。
波動の法則により、だます人のそばにはだます人が集まる。
2つ目は、波動の法則によるものです。
たとえばあなたが人をだますような商売をするなら、あなたの業界にはやはり、人をだますような人たちばかりが集まり、あなたもまただまされます。
近年の日本で流行っているネットワークビジネスや、自分を誇張してみせることで注目を浴びようとするタイプの起業テクニックでは、互いが互いをだまし合っているような構図になっています。が、しかし、当人たちはあまりだまされている実感を持っておらず、だまされる苦痛を感じていないため、あまり因果応報が為していないと言えます。これは困ったことです。
精神的にタフな人や肉体的に強い人、莫大な資産を持っていて、逮捕されても保釈金で出てこれる・出所後も莫大な資産が残っているような人は、波動の法則だけではカルマが制裁しきれないところがあります。
そのように、当人が苦しみを感じていない場合は、1つ目に挙げた輪廻転生によるものなどで、改めて制裁が下ります。
「走馬灯」はヴィジョンによるカルマの制裁のこと。
3つ目は、ヴィジョンによるものです。
肉体の死を迎えた後、霊界ではまず、そのときの人生の善行悪行の清算が行われます。自分が働いた悪行を、今度は自分が受ける側になっている様子を、悪夢を見るようなかたちで体験します。ヴィジョンといっても、当人は自分が体で体験している感覚を持ちます。
悪行の多かった人は、この清算の過程で、果てしなく長い期間、悪夢を見続けることになります。
死ぬ直前に視ることのある「走馬灯のようなもの」もカルマの制裁の一部です。
霊感の強い人は、霊感によって制裁を受ける。
霊視や霊聴のある人は、その霊感によって過去の悪行のカルマ制裁を受けます。
悪いことばかり、攻撃ばかり、嘘ばかり、怠惰ばかり、快楽ばかりしているなら、幻覚や幻覚によって低級霊に攻撃されます。ときには体を動かされ、乗っ取られたりして攻撃されます。
悪霊のような不愉快なものを視せられたり、気味の悪い言葉を聞かされたり、体がしびれて痛くなったり、といったことです。
霊感の強い人は、カルマの還元が速くなります。悪いことをすればその裁きをすぐに(警察にばれなくても)受ける、ということでもありますし、物事の因果に気づき成長が速くなりやすい、とも言えます。
不誠実な人や怠惰な人は、無暗に霊感を得ようとしないほうがよいです。低級霊からの攻撃ばかりにさいなまれることになりがちです!
あなたの悪行は一つ残らず守護天使が記録している。
人生で行った善行・悪行については、当人の守護天使がチリ一つ逃さず記録しています。他人や警察をあざむいて悪行を行うことはできますが、守護天使をあざむくことは誰にもできません。
ある意味では、完全犯罪などというものはありはしないのです。
負のカルマを清算する方法は?
死を迎える前に悪行のカルマを清算したい場合は、奉仕に打ち込むしかありません。この社会では、保釈金を払ったり刑務所暮らしを続けることで罪は清算されたとみなされますが、霊的な審判はそうではないのです。
起業家の場合、大衆からだまし取った金額が億にも跳ね上がるため、それに相当する清算を奉仕で行うのは至難の業です。もちろん、だまし取ったお金でどこかに募金を行ったところで、それは奉仕にも清算にもなりません。
「利他的に生きなさい」ということです。
まずはギブ&テイクができるようになろう。
日本人大衆の場合、奉仕をしようと考えるよりも先に、やるべきことがあります。
それは、「ギブ&テイク」です。
誰かにお世話になったなら、その恩返しをするように心がけましょう。
日本人大衆は、快楽やレジャーにはお金を惜しみなく使いますが、善人の善行に対してお金で還元したり応援したりしないのです。こうした国民性は、快楽的企業を繁盛させるだけで、誠実な企業や人を殺してしまいます。
意味がわかりますか?
アイドルYoutuberに1万円の投げ銭をすることは、奉仕でも善行でもありません!
そういうことにお金を使う前に、無料でご飯を食べさせてくれた子供食堂に寄付をしに行きましょう。「お金は要らないよ」とそのお爺さんが言っても、「いつかこの店をリフォームするときに使ってください」とでも言ってお金を置いてきましょう。
「目には目を」ほど厳密にカルマが働くわけではない。
「目には目を」ということわざも、「カルマの法則」と同じような意味の言葉ですが、「目には目を」というほど緻密にカルマが働くわけではありません。
「カルマの法則」を説明する書物やブログなどでは、「胸を刺して殺した人は、胸を刺されたり心臓病になったりして死ぬ」といった説明がなされていることがありますが、そこまで律儀に跳ね返ることはほとんど無いのです。偶然、同じような部位で苦しんで死ぬことはありますが、守護存在たちが細かい部位までをコントロールして殺人や事故死を起こすことはできません。
「仕返し」や「復讐」という観念は手放しましょう。捨てましょう。
酷い犯罪を受けた本人やその肉親などは、加害者に復讐をしたいという気持ちが働くことが多いです。しかし、被害者や肉親が復讐をしなくても、その加害者は「カルマの法則」に則っていずれ制裁を受けることになります。そのため、生身の体を持つ人がリスクを払ってまでして復讐をする必要はないのです。その復讐行為自体が負のカルマを生んでしまうケースが多いので、「復讐しなくてよい」というよりも「復讐しないほうがよい」のです。
酷い犯罪を受けた人やその親族などは、その経験から「許し」という精神の気づきを得ることが課題です。
教育のために他者に制裁を加えることはかまわない。
ただし、「教育のためのペナルティ」はあってよいものです。
たとえば、あなたに二人の子供がいるとして、そのうち一人が掃除の当番をさぼるのであれば、「おやつは抜き」「お小遣いは減額」といったペナルティを与えてかまいません。「むかつくから」という感情からではなく、「教育のために」という冷静な観点からの制裁であることが重要です。
風俗嬢としてのセックスは負のカルマにはならない。
なお、風俗で働いて多数の異性とセックスしたとしても、それ自体は負のカルマにはなりません。
ただし風俗嬢は、得たお金を強欲なことに使いすぎる傾向にあり、生活全般が不誠実な傾向にあります。そのため、結果的に風俗嬢は負のカルマを多く蓄積してしまっている人が多いです。
風俗で働くこと自体は悪くはないのですが、生活は誠実に品行方正でありましょう。
これはアダルトビデオ女優や水商売についても同じことが言えます。
実情として、風俗嬢をしながら誠実さを保てる女性はほとんどいない。
風俗の仕事をすると、大きな報酬を得ます。ほとんどの女性はその大金を快楽的なことに使ってしまいます。ファッションやグルメや愛玩犬に浪費してしまいます。
業界のきらびやかな服装に魅了され、バブリーなケバい価値観になって心と体を汚します。
業界で出会う男女は不誠実な人ばかりで、彼らの不誠実さに流されてしまいます。
風俗嬢やセクシーな仕事をしながらも、誠実さ・無欲さを保っていられる女性はほとんどいないのが実情です。
風俗やセクシーな仕事でお金を稼ぐなら、その使い道には気を付けましょう!少々豪遊する期間があるのはよいでしょう。「半年間、50万円」くらいが目安でしょうか。それでもう卒業し、質素にナチュラルに暮らすべきです。
稼いだお金で、親に頼らず海外留学に挑戦したり、つつましく子供の世話をしたり、奉仕的な人を助けたりするのは良いです。
風俗で働いても、つつましく暮らし奉仕的なことにお金を使うなら、善い生き方と言えます。
セックスがカルマとなるかは、ケースバイケースで難しい。
多くの宗教が「セックスは悪」と説きますが、セックスそのものは悪ではありません。
しかし、強烈な快楽であるために、セックスを得るためにずるい行動をとってしまう男性やセックスをエサに貢がせようとする女性は多く、セックスに奔放な人々の大多数は負のカルマを蓄積し続けます。
大衆が「当たり前」と思っている恋愛スタンスは、もう負のカルマを生む行為・・・。
男性の大多数は、少々強引にセックスに誘い込もうとしますが、これはもう負のカルマです。恋愛ドラマや少女漫画で描かれているような、相手の同意もなく唇を奪うような行為はもう負のカルマです。ほとんどの男性はセックスを適切に扱えていません!
お酒に酔わせてセックスに持ち込むのは、完全に負のカルマです!お酒を飲ませて理性を失くさせようとする時点で、もう負のカルマです。
女性の多くは、性的魅力をちらつかせて男性から金品や尽くしを得ようと企てます。これはもう負のカルマです。多くの女性はセックスを適切に扱えていません!
男性は自分から口説かないほうがよい。女性は自分から素直に口説いたほうがよい。
男性は基本的に、女性から「あなたとセックスしたい」と口説かれるまで待つべきです。そう思ってもらえるような魅力的な人格を目指して自分磨きをしましょう。それはルックスだけの問題ではありません!
女性は、「口説かれるように罠をしかける」というような間接的な恋愛スタンスをやめるべきです。ある男性に好意を抱いたなら「あなたとデートしたい」と自分からリードすべきで、「あなたとセックスしたい」と自分から打ち明けるべきです。セックスの対価に金品を得ようと企むのをやめるべきです。
こうした無害なセックスが出来ないなら、負のカルマを生み続けています!ほとんどの男女は、セックスで負のカルマを生み続けています。
誠実さを貫きながらフリーセックスを生きている人は、ほとんど皆無。
複数の異性と自由にセックスを交わすこと自体は負のカルマではありませんが、上記のような誠実なスタンスを貫けないならそれは負のカルマとなります。出会い系サイトなど使い自由に恋愛する男女はほぼ全員、誠実な姿勢を貫いていたりはせず、負のカルマを生み続けます・・・
複数の異性とセックスを交わしながら誠実さを保ち続けられる人などほとんどおらず、だから「セックスの相手は一人に定めなさい」という規則や道徳が生じるのも間違ってはいません。「セックスは悪いものだから近寄らないようにしなさい」と教えるのも間違ってはいません。
結局、セックスを楽しみたいなら良心や快楽の自制心を磨いてからでないと、堕落し、トラブルまみれになります。
カルマの法則でも一概に前世を推測できない。
生まれたときの生活環境や肉体環境は、たしかに前世での行いに左右されるものが多いです。前世で悪いことをしたなら、悪い環境で生まれることになりがちです。
しかし、必ずしもそうとも言えないのです。
たとえば、手足のない人が前世で他人の手足を切り落とした罪人なのかと言えば、そうでないケースがあります。過酷な環境に前向きに耐え忍び、大衆を啓蒙するために手足のない身体を持って生まれてくる人もいます。『五体不満足』の著者・乙武洋匡さんなどもそのタイプです。彼は前世の罪人というわけではなく、魂のレベルの高い、啓蒙を使命に生まれ持った人です。
貧困についても同じことが言えます。インドやアフリカなどの超貧困な環境に生まれる人たちは大抵が罪人の前世を持ちますが、日本で貧困家庭に生まれる人は、罪人の前世など持っていないことが多いです。
貧困な家庭環境は高い精神性を保ちやすいので、むしろ成熟した魂の人は貧困な家庭に多く生まれてきます。スターパーソン(インディゴチルドレン、宇宙人)の多くは貧困家庭に生まれます。
自然と、誠実な生き方をしたくなるはずなのです。
「カルマの法則」とは、人を裁くためにあるわけではありません。因果(原因と結果)を理解し、成長していくためにあります。
悪いことをして痛い目を見る、だらしなくして痛い目をみる、快楽に中毒して痛い目をみる、それらを繰り返す中で、「誠実に生きたほうが幸せだ」と思うようになるはずなのです。(なかなかならない人もいます。80年生きてもならない人もいます。100回転生してもならない人もいます)
若い頃に色々と失敗するのは、仕方ないことです。そこからどう人生を立て直していくか、それが試されています。
完全に潔白では生きられません。
「少しのずるもせずに潔白に生きたい!」と願うようになる人もいるでしょう。それはとても素晴らしいことです!
しかし現実問題、今の日本社会では、完全に潔白であろうとするとお金も稼げず、必要なものも得られず、生きていけません。
心苦しいかもしれませんが、「80%くらいの白さで妥協をしよう」といったふうに減方調整をしましょう。アルバイトを休む理由にたまに嘘があってもよいです。
恋愛を得るために、少し背伸びをしてもよいです。メイクをすることは虚偽ではありません。
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